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子どもの頃を思い出して、両親への蟠りをなかなか捨てることができない。
色々な出来事があったけれど、「何が一番辛かったか?」と聞かれれば…「妹との差が明らかだったこと」に尽きる。


以前書いたことがあるけれど、私は物心ついたときから第一子であるにも関わらず両親に新しい服を買ってもらったことがない。
幼稚園から高校までの制服、学用品、通学用自転車に至るまで、全て近所のお姉さん方からのお下がり。
(当時は学用品にも何故か男の子用・女の子用の区別があった。今も?)
母は近所に学校を卒業する女の子がいると聞くと、その家に訪ねていって「文乃にお下がりを下さい。」と声を掛けまくっていたそうだ。

私が育ったのは、「幼稚園から中学校まで1学年1クラス」という、少子化が進みきった地域。
牧歌的な雰囲気だったので、お下がりを持っているからといって同級生からイジメられるようなことは無かった。
これは本当に助かった。環境によっては、母があちこちの家でお下がりを求めているというだけで、周りから敬遠されることもあるよね

そんなわけであまり意識すること無く平和に学校生活をおくっていた、妹が入学してくるまでは…

地域にお店が無かったので、ランドセルや学用品は全て学校で注文するシステムだった。
両親が妹のランドセルを注文しなかった時、周りは「文乃と同じようにお下がりにするんだろうな。そういう教育方針の家だ。」と思ったはずだ。

しかし、入学式の時に妹が背負っていたのは「茶色い横長のランドセル」。
母は意気揚々と「有名な工房に直接注文に行った。○万円だった。」と話していた。
学校注文の3倍の値段―質や縫製が良いのは明らかだった。

この瞬間、周囲が私と妹を見る時になんともいえない表情をしていることに気づいた。


その後も、学校から書道セットや裁縫セット等の注文表が届く度に、
「こんなおもちゃみたいのじゃダメ。一生モノになるようなしっかりしたものをお母さんが探してあげる。」と妹に話していた。
”おもちゃみたいの”でもいいから、私は買って欲しかった。

姉妹で服や持ち物のランクがあまりにも違っていたため、両親がいない所では妹のことを「遠い親戚の子なの。」と言っていた。
姉妹であると伝えた時の大人の怪訝な表情、それに耐えられなくなったのだ。


あの時の両親の気持ちは?なんて、今考えてもしょうがないし理解できるはずもない。
でも、どうしてわざわざ目立つように差をつけたのだろう。
周りの人に不思議がられていたことに、全く気がついていないなんてことはさすがにないと思う。

周囲の視線よりも、私に対する憎しみのほうがよっぽど強かったということだろうか。



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